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恐怖(きょうふ)は現実もしくは想像上の危険、喜ばしくないリスクに対する強い生物学的な感覚。
ジョン・ワトソンやパウル・エクマンなどの心理学者は恐怖をほかの基礎的な感情である喜び、怒りとともに、これらをすべての人間に内在する感情だと主張している。恐怖は防御的、生存的な本能的感情で、多くの生命体で発達していったと思われる。通常、恐怖は特定の刺激に対する反応である。例えば、蜘蛛を見た人はそれに対して恐怖を感じるかもしれない。恐怖はまた、安全への退避の動機を起こす役目を果たしている。
人間が恐怖状態に陥ると、脚などの筋肉に血液が集中され、これにより人間はより素早く行動することが可能となる。また、身体は瞬時の凝固を起こし、これはより優れる反応(例:隠れる)の有無を大脳に判断させる させるためである。大脳では、ホルモンが分泌され、これにより脅威に対する集中が高まり、最も正確な反応を分析する。
原因
恐怖は内在する脳内反応であるが、恐怖の対象を覚えさせることは可能である。これは心理学において恐怖条件付け (en:fear conditioning) として研究されている。その最初のものはワトソンが1920年に行ったリトルアルバート実験 (en:Little Albert experiment)で、この研究では、生後11ヶ月の幼児が実験室の白鼠に対し恐怖を感じるように条件付けることに成功した。また実際の世界において、トラウマ的な事故により特定の対象に対し恐怖するようになることもある。例えば、子供が井戸に落ち、脱出するべくもがきつづけると、彼/彼女は密閉空間(閉所恐怖症)、もしくは水(水恐怖症)に対し恐怖を感じるようになるかもしれない。
研究により、特定の対象(例:動物、高さ)が他の対象(例:花、雲)に比べより恐怖を引き起こしやすいことが発見されている。また、被験者にこれらの対象に対し恐怖を植付けることもより容易である。生理学的には、恐怖に対する反応は大脳辺縁系の扁桃体の活動にリンクしている。
恐怖を感じる対象はまた社会的な基準、価値観によって影響されることがあるかもしれない。19世紀の英国における最も大きい恐怖の一例は、人々に嘆かれず、忘れ去られ、貧乏に死に、最後には解剖台に乗せられることであった。20世紀では、多くの人が小児麻痺、身体の一部を不具にし、残りの人生で動かなくなるという病気を患うことを恐れた。9.11以降では、テロリズムに対する恐怖がアメリカとヨーロッパに大きく広がった。
行動
恐怖状態において、人はいくつのもの感情的な段階を経ると思われる。「追い詰められた鼠」というのはその良い例である。鼠は捕食者によって最終的に追い詰められるまでは逃走を図ろうとするが、いざその状況になると好戦的な態度に転じ、逃走できるか捕らえられるまで反撃をするようになる。
同じことがほとんどの動物に適用される。人間は恐怖により怯えた状態になり、他者の望みに一方的に従うことがある。その一方、人間は同様に暴力的にもなり、命を懸けて戦うこともある。これはアドレナリンの分泌によって起される生理的な反応である。これは多くの訴訟において、死刑がなされない理由になっている。
顔に現れる恐怖の表現は以下を含む。
関連項目
虚言癖(きょげんへき)とは、どうしても嘘をついてしまう人間の性質をあらわす俗語。
傾向
虚栄心や自惚れから、自分を実際よりも大きく見せようと、ホラやうその自慢話をするものとされる。ただ、実態としては自身の言質よりも劣っているケースも多く、劣等感(→劣等コンプレックス)の変形と見なされている。
これらでは病的になってくると、自分でも、嘘か本当かよくわからなくなってしまう傾向があり、中には空想の自分像との同一視や、現実認識に支障が出る傾向もあるなど、当人にとっても有害無益である傾向が出ることもあるとされる。
詐欺師は、これを職業(?)としているケースであるが、詐欺罪が存在する以上、日本を含む多くの国では犯罪と見なされるものである。詐欺師の中には、自身の述べる嘘にリアリティを持たせようと、自分でもそれを信じようとする傾向も見られる。中には余りに熱っぽく嘘を語ったがために、自己暗示によって当人すら信じる事もある模様で、結婚詐欺師の中には、とてつもなく荒唐無稽な嘘を並べる者すらいる。ただ、これらでは騙される側も「騙されたがっている」とみる向きもあり、この荒唐無稽さが一種の娯楽として受け容れられている傾向も指摘できる。
嘘が他人にとって娯楽の範疇にある分には、虚言癖も娯楽としてビュルガーの著したほら吹き男爵の冒険(ただしミュンヒハウゼン男爵はドイツに実在した貴族である)のように、大いに歓迎される所では有るが、自己保身のためや、無意味に膨れ上がった自尊心(自惚れ)を満たすための嘘は、聞く側にとっては不快な傾向を持つこともある。
虚言癖では現実から来るストレスよりの逃避ともみなされ、嘘を付く事で一時的にストレス因より距離をおく事で、当人の精神衛生上で芳しくない影響を軽減する効果もあるものの、常態と成ってしまっている場合には、先延ばしのように、問題が単に先延べされて山積される結果しか生まないとも考えられる。過度の嘘が当人にとっても、苦痛を生む可能性も否定できない。
病的な傾向
病的にウソを付く場合では、病気や体調不良を装うミュンヒハウゼン症候群がある。同症候では、彼らの訴える病気等によって周囲の同情や関心をひく事を目的として、手術痕を(自分で)作ろうと自傷行為をするケースもあり、その一方では体調不良を訴えた場合に、本当にそれら苦痛を(自己暗示的に)感じている場合もあるようだ。
その一方では統合失調症のように、自分が何を述べているかも明確に認識していない場合もある。これらは妄想や幻覚と現実の区別が付かず、時に記憶すらも曖昧となり、事実と反する事を述べたりする事もある。
この他にも痴呆によっても認識と現実に差が出ることもあり、他人から見れば事実から反するためにウソとされる事柄を、当人は事実として疑わない事がある。
これらは一般に、虚言癖と混同ないし同一視されるが、厳密には虚言癖と似て異なるものである。またこれの治療法も各々に存在する。