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ルサンチマン(仏: ressentiment)はデンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。主に、ある感情を感じたり行動を起こしたりある状況下で生きることのできる人すなわち強者に対する、それをなしえない弱い者の、憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう。この感情は自己欺瞞を含み、嫉妬や羨望から来る。フリードリヒ・ニーチェの『道徳の系譜』(1887年)で使用され、マックス・シェーラーの『道徳構造におけるルサンチマン』で再度とり上げられ、一般的に使われるようになった。
道徳の系譜
ニーチェによればルサンチマンの人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」[1]である。
よって、ルサンチマンの人は非常に受け身的であり、無力な状態で、フラストレーションを起こしている。行動を禁じられて、その結果自身の無力を痛感している人なら誰でもルサンチマンに陥る。すなわち感情を表に出すことができなくなってしまうのである。
強者であればこの状態を克服できる。その場合、ルサンチマンの状態は(復讐心を克服するときと同様)一時的なものでしかない。反対に弱者はルサンチ マンから逃れられない(復讐心が脅迫観念になったり、ある行為を後悔するあまり日々悶々として、気の休まるときがなくなってしまったりするのと同じ)。そ して、フラストレーションの味方をして、なにもできないのを正当化し、価値の否定および反転を行う。自分を正当化しようとするこの願望こそ奴隷精神の最大 の特徴である。
こうしたルサンチマンの例は、敵との対比(実際の敵であることもあれば空想上の敵であることもある)において自己を定義しようとする様々なイデオロギーで ある。このようなイデオロギーでは敵(すなわち自分が無力である原因)が悪の元凶扱いされ、反対に、道徳的に優れているのは自分だとされる。彼らは悪人 だ、従ってわれわれは善人だ、というわけである。あるいはまた、世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがってわれわれのほうが世界より優 れている、ともなる。
なお、ギリシア哲学研究で著名な田中美知太郎は、プラトンの対話編『ゴルギアス』でのカリクレスの 主張―弱者たる多数派による法律に飼い馴らされた状態から、充分な天性を授かった人間(奴隷にしておいた主人)が立ち上がり、自然の正義が燦然と輝き出 る、というもの―には、ルサンチマン概念の変奏曲の如きものが認められると指摘した(田中美知太郎責任編集『世界の名著 プラトンⅠ』中央公論社)。
ジル・ドゥルーズ
ドゥルーズは『ニーチェと哲学』(1962年)においてルサンチマン概念を、哲学を肯定的かつ反弁証法的に再生させるという視角から論じている。ポストヘーゲル主義的な理論が退潮した時期にドゥルーズは、弁証法的止揚とか批判的活動といったものを中心に置かない哲学を考案した。この哲学は批判哲学も弁証法哲学も否定性とみなし、能動的行為(actif)を反動的行為(réactif)より高く評価する。
ルネ・ジラール
ルネ・ジラールも1960年代中頃からルサンチマン概念を論じている。ジラールによればルサンチマンとは、乗り越えることのできない理想的モデルに対して誰もが抱く単なる嫉妬心にすぎない。自律的に感情を抱くことのできる「優れた」人間というものがいるというロマン主義的な考え方をジラールは批判し、どんな人間も模倣をせざるをえないと考えた。反動という言い方をニーチェが用いたような悪い意味で使うことができるとしても、ジラールに言わせれば、われわれはみな反動的なのであり、その点では、ニーチェ的な意味では一見して優れた人間であるとみえる人々でさえ例外ではない。ロミオとジュリエットで あれテレビのアイドルたちであれ、優れた人間でないばかりか、自分の感情を育むために他人の感情に頼りきっている。それが嵩じれば、自殺したり人工的な世 界に逃げ込むことにもなりかねない。ジラールの考えでは、ニーチェ自身もルサンチマンの人である(例えばニーチェは当初ワーグナーを崇敬し、その後攻撃に転じた)。ニーチェが狂気に陥った理由の一端は、奴隷精神への軽蔑と彼自身のこのような心理状態との緊張から説明できる、というわけである。またジラールは同様の仕方でもルサンチマンのイデオロギーについても論じている。共産主義、反ユダヤ主義、さらに一般に「反・・・」を名乗る主義がこうしたイデオロギーと言える。ただし、ニーチェのみならず近代思想全体によって「断罪」された聖書やキリスト教は、ジラールにとっては、感情の真実を伝える担い手であるとされる。
マルク・アンジュノ
イデオロギー研究の文脈では、言説分析を専門とするカナダの歴史家のマルク・アンジュノ(en:Marc Angenot)が、20世紀の政治イデオロギーやアイデンティティ・ポリティクス、ナショナリズムを論じる際に、ルサンチマン概念を取り上げている[2]。アンジュノもまたルサンチマンとは、不満の蓄積を特徴とする態度であると考えている。ルサンチマンに基づく主意主義の増殖は今日ではとりわけポストモダニズムや独善的主張の横行、組織防衛的な考え方の拡大にみられ、様々な形態の差別や社会的対立を煽っている。アンジュノによれば、過去について反省したり将来について希望を抱き続けることは、たとえわれわれの目から見て安定性や魅力が(ヴァルター・ベンヤミンがアウラの消失と呼ぶような仕方で)消え失せている仕方であるように見えても、ルサンチマンがもつ反動的な影響から身を守るための最善の方法である。