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心(こころ)の語源はコル・ココルで、動物の内臓をさしていたが、人間の体の目に見えないものを意味するようになった。
- 「心」の多義性
広辞苑は以下のようなものを挙げている。
心に関する様々な考え
昔の人は心が心臓にあると考えていた。心臓という命名や、「胸の内」「ハート」が比喩的に心を指すのはその名残りである。
古代ギリシャのアリストテレスは「心について(霊魂論)」[1]で、こころを論じた。心をモノのひとつの性質・態と考え「モノの第一の"エンテレケイア"」と呼び、こころとからだはひとつであり、分離できるようなものではない、とした。
17世紀の自然哲学者デカルトは「心は心で物は物」と完全に分断する論法(「デカルト二元論」)を展開した。(→心の哲学で参照可)
現代でも世界の人々の大半は「心」と言う場合、人間を人間らしく振舞わせる事を可能にしている何か、を想定している。
現代において、人の心の働きを研究する学問のひとつに心理学があり、初期は内観から始まったが、現代では人の反応を厳密な統計的手法で解析してもいる。様々な手法がある。(詳細は心理学の項を参照のこと)。
近年の神経科学者らは、心の状態は脳の物理的状態と密接な関連がある、と考えている。たとえば脳内の各部位と機能との関連(例:ブローカ野、視覚野)、神経伝達物質と気分との関連(例:ドーパミン、エンドルフィン)などが次々と発表されている。(詳細については神経科学を参照のこと)
また主として存在論的な観点については、現在でも「心の哲学」という分野で様々な議論が行われており、様々な立場がある。(詳細については心の哲学を参照のこと。)
心と宗教
心のありかたを求めているものに宗教がある。例えば日本では、空海は『秘密曼荼羅十住心論』において、心の段階を10の層に分けて、最後の密教的な境地への悟りが深まる道筋を説いている。
心と文化
「こころ」は、意思などが「宿る何か」だけでなく、意思的な作用そのものを指すこともある。「心を受け継ぐ」などと表現する。 現代風に譬えるならば、PCのハードではなく、ソフトウェアを指している、とでも表現できよう。ソフトウェアはPCからPCへと自在に移りながら働いてゆ く。見方によっては、ソフトウェアのほうが主体で、ひとつひとつのPCはただの乗り物にすぎない、とも言える。同じように、「こころ」がそれ自体ひとつ の"生きもの"であり、人間はそれを受け取っている器という発想もある。
チャールズ・サンダース・パースは「人間記号論」において、「ことば」そのものが独自のいのちを持っており、成長し、増殖・衰退もするのであり、人間の集団はその「ことば」の"interpretant"(解釈体)としての面があることを指摘している。
これは伝統的に、カトリック教会において「教会はイエス・キリストのからだ」としばしば表現されることにも通底している。ここでいう「教会」とは建物のことではなく「信者の集団」のことである。イエス(の意思、アガペー)が「こころ」であり、信者ひとりひとりがその「からだ」ということである。
心の病気
心の病気は医学的には精神疾患と呼び、標榜科名としては精神科、神経科、心療科、心療内科などがそれにあたる。
心療内科は日本で1996年に標榜科として認可された。内科疾患の中でも、消化性潰瘍、気管支喘息、狭心症、糖尿病などは心身相関のある疾患であり、身体面に併せて心理的要因・社会的要因が複雑に影響しており、同標榜科においては心身一元論的視点から、それらの要因も含めて全人的治療を行っている。現在のところ同標榜科の医師には心療内科を専門とする心療内科医もいるが、大半は精神科医である。
心の病の専門家としては、精神科医、臨床心理士、産業カウンセラーなどがある(日本の心理学に関する資格一覧も参照可)。 心の病を対象とした学問としては、精神医学、心身医学、臨床心理学を参照。
参考文献
- ^ アリストテレス桑子敏雄 訳『心とは何か』 講談社<講談社学術文庫> 1999年 ISBN 4-06-159363-3