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善玉悪玉(ぜんだまあくだま)とは、人の心の善悪を擬人化したキャラクターである。
善人は○を顔として、そこに善の一字を描いて善玉、悪人は同様に悪の一字を描いて悪玉と表現する。善悪二元の図式をきわめて即物的に表現した設定であり、転じて、小説や映画等の登場人物の中で善人を善玉、悪人を悪玉と呼ぶようになった。
現代の「善玉悪玉」の多用例では、人体の健康に良い影響を及ぼすとされる腸内細菌(ビフィズス菌など)を善玉菌、悪い影響を及ぼすとされるもの(ブドウ球菌やウェルシュ菌など)を悪玉菌と図式化して表現する例がある。同様の趣旨で、コレステロールを善玉コレステロールと悪玉コレステロールに分類することがある。
由来
善玉悪玉の初出は寛政の改革の時流を背景に1790年(寛政2年)に出版された山東京伝作の教訓的草双紙『心学早染草』とされる。
この本の挿絵では、心の葛藤を善玉と悪玉が左右の腕を引き合うことで表現している。善玉が一人で引いているのに対し悪玉は三人で引いており、悪玉が優勢であることが判る。(詳細は下記外部リンクを参照)
後にこの善玉悪玉をキャラクターに起用して歌舞伎舞踊「弥生の花浅草祭」(通称「三社祭」 1832年初演)が創作された。善玉悪玉が愉快に踊りまくる姿は「悪玉おどり」と呼ばれて庶民に大受けし、「善玉悪玉」の呼び名を定着させた。この舞踊自体「善玉悪玉」と呼ばれることもある。
関連
憎悪(ぞうお)とは、他人やその人の言動・態度が、自分にとって不快であるだけのみならず、自分の人格や尊厳を傷つけるものとして許しがたく、そうした行動が既に取り消しがたいものであればその他人の存在そのものに対しても激しく憤りを感じ、なんらかの報復を試みたいと考えること、あるいうそうした感情。場合によっては、違法であることはもとより、傷害行為といわれようと復讐したいと思うような憎しみ。愛情や友情の正反対に位置する態度・行動でもある。
憎悪が人の集団や人種、国家に対して向けられた瞬間、人種差別・民族差別・植民地支配・テロリズム・近親憎悪・反体制といった行動として、その姿を表すこともある。それは信念・主義と して常に表に表されていなくても、ささいな事件・衝突から一挙に爆発し、直接にはその衝突に無関係だったはずの人たちをも巻き込んで、憎悪が大衆暴動・蜂 起に発展していくこともある。政治状況が不安定であったり、人種や支配階級とそれに抑圧された市民層の間での持てる者とそうでない者の間の社会的な軋轢が 極度の緊張関係にある社会ではよくあることである。
ちなみに前述のように、同じ形だが、単に復讐する気は薄く、ただ強く嫌っているだけの状態などは嫌悪と呼ぶ。
また、特定的な理由が無く、ただなんとなく許せない、気に入らないといった場合は「毛嫌い」「犬猿の仲」と呼ぶ。