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精神分析学(せいしんぶんせきがく)は、ジークムント・フロイトSigmund Freud)によって創始された人間心理の理論と治療技法体系を指す。広義には、フロイト以後の分派を含めた理論体系全体も指す。 精神分析学が科学と言えるのかどうかについては議論が分かれている。

歴史

20世紀前半まで

シャルコーのヒステリー研究

19世紀後半のヨーロッパでは、ヒステリーをはじめとする神経症は、精神科ではなく内科の診断領域であった。ヒステリーの研究で有名だった神経学者であるジャン=マルタン・シャルコー(Charcot,J.M.)は、パリでヒステリー患者に催眠をかけ、ヒステリー症状が現れたり消えたりする様子を一般公開していた。

1885年、そのシャルコーのもとへ留学してきたのが、のちに精神分析を創始することになるジークムント・フロイトであった。当時のフロイトは自然科学者神経学者であり、主にヤツメウナギの脊髄神経細胞の研究や、脳性麻痺および失語症の臨床研究を行なっていた。

フロイトによる精神分析の創始

1886年、フロイトはウィーンへ帰り、シャルコーのもとで学んだ催眠を用いるヒステリーの治療法を一般開業医として実践に移した。治療経験を重ねるうちに、治療技法にさまざまな改良を加え、最終的にたどりついたのが自由連想法であった。
これを毎日施すことによって患者はすべてを思い出すことができるとフロイトは考え、この治療法を精神分析: Psychoanalyse)と名づけた。
のちに1990年代のアメリカで起こる記憶戦争は、この時代のプロセスが下地となっている。

心的外傷と無意識

1895年、フロイトは、ヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であるという病因論ならびに精神病理を発表した。今日で言う心的外傷PTSDの概念に通じるものである。
これに基づいて彼は、ヒステリー患者が無意識に封印した内容を、身体症状として出すのではなく、思い出して言語化して表出することができれば、症状は消失する(除反応 : Abreaktion)という治療法にたどりついた。
この治療法はお話し療法と呼ばれた。たいへん原初的で素朴な療法であるが、この時代の精神分析が必ずしも主流から外れてしまった今日の精神医学においても、ナラティブセラピーその他の方法で展開されているものである。

科学としての出発点

フロイトは自然科学者であったから、彼の目指すものはあくまでも「科学」としての精神療法であった。彼の理論の背景には、ヘルムホルツ(1819-1892)に代表される機械論的な生理学唯物論的な科学観があった。脳神経と心の動きがすべて解明されれば、人間の無意識の存在はおろか、その働きについてもすべて実証的に説明できるようになると信じていた。それゆえに、彼は終生、宗教もしくは宗教的なものに対して峻厳な拒否を示しつづけ、その結果ユングをはじめ多くの弟子たちと袂を分かつことにもなる。
こうした原点を無視して、「精神分析は科学ではない」と早計に断じることはできない。

自己の成り立ち

精神分析を自然科学の一端たらしめようという方針に沿って、フロイトの関心は心的外傷から無意識そのものへと移り、精神分析は無意識に関する科学として方向付けられた。そして、自我・イド・超自我からなる構造論と神経症論が確立した。

精神医学界による排斥

精神分析が創始されたころの精神医学においては、「精神病の原因はの何らかの器質的異常によるものであるが、その異常はいまだ解明されていない」という精神病内因説が優勢であった。また、脳科学もその異常を解明できそうなところまで発達していないので、フロイトと同時代の精神医学者たちは精神障害の原因究明には興味を示さず、むしろ症状を詳しく分類することに力をそそいでいた。
このような精神医学は、精神障害の根本的メカニズムを解明しようとする精神分析とは交流を持たず、しばしフロイトならびに精神分析を排斥し迫害する立場に 回った。そのため精神分析は、精神医学界から離れたところで独自の発展を遂げることになる。精神分析が精神医学と深く結びついていくのは、フロイトの死後 かなり経ってから、それも第二次世界大戦後のアメリカにおいてである。

とはいえ、総じて見れば精神分析は、20世紀初頭から半ばにかけて、心理学精神医学はもとより、人文社会諸科学や文化芸術に多大な影響を及ぼした。

20世紀後半

精神医学との結びつき

それまでの精神医学の治療法は、ある方法を用いたら病気が良くなった、といった経験則に頼ったものであった。そのため、病理学病因論治療理論と いったものがなく、根治的な治療もできず、医学の他の領域に比べるといささか科学性が欠けているように見られた。そこで第二次大戦後の精神医学者たちは、 すでにそれなりの病理学や病因論を整備していた精神分析学に期待をかけ、かねて排斥していたものに接近してきたのである。

精神分析学の衰退

20世紀後半になると、科学哲学新行動主義心理学生物学的精神医学脳科学などから、精神分析の科学性、客観性、治療法としての有効性に疑問が投げかけられるようになる。抗精神病薬としてのクロルプロマジン「再発見」以来、精神疾患への薬物療法が発達し、精神分析療法で改善が見られない患者が治療できるようになると、精神医学領域における影響力は徐々に衰えていく。
精神分析の影響が大きかったアメリカにおいても、1980年のDSM-III(精神疾患の診断と統計の手引き)以降、神経症の概念が解体される方向に向かい、患者の希望した薬物治療を拒否して精神分析に専念した治療者が、患者との裁判で敗訴した(参照:過誤記憶裁判)こともあって、精神分析医の数は減少した。

21世紀ならびに近況

近年、精神医学が薬物療法や、生物学的理論に偏りすぎたことへの反動として、また、摂食障害人格障害などの薬物療法のみでは治療が困難な疾患については、精神分析の影響が限定的な認知行動療法が適用されつつある。そのため、日本国内においては、精神科の臨床でフロイト当時のままの精神分析療法を使う医師はほとんどいない。ただし、精神科医臨床心理士などが患者理解のために精神分析の概念を援用することはあるし、口語版精神分析とも呼ばれる交流分析心療内科看護介護の領域で活用されているという現実もある。また一般の人々が抑圧コンプレックスといった精神分析由来の概念を使用(あるいは誤用)して、自分や他人の行動や心の動きを説明することも、日常生活のなかでよく見聞きする。

概略

精神分析学は、人間には無意識の過程が存在し、人の行動は無意識によって左右されるという基本的な仮説に基づいている。フロイトは、ヒステリー(現在の解離性障害や身体表現性障害)の治療に当たる中で、人は意識することが苦痛であるような欲望を無意識に抑圧することがあり、それが形を変え神経症の症状などの形で表出されると考えた。そのため、無意識領域に抑圧された葛藤などの内容を自覚し、表面化させて、本人が意識することによって、症状が解消しうるという治療仮説を立てた。

治療過程の諸現象

フロイトは治療において、患者と治療者の間でいくつかの特徴的な現象が観察されるとしている。もちろん、患者・治療者ともに個性を持った人間であるから、これら諸現象がじっさいに常に観察されるわけではない。そこが「科学的再現性がないため精神分析を科学ではない」と主張している立場の論拠の一つともされている。

転移

フロイトは、面接過程において、患者が過去に自分にとって重要だった人物(多くは両親)に対して持った感情を、目前の治療者に対して向けるようになるという現象を見いだした。これを転移(Transference)または感情転移という。
転移は、患者が持っている心理的問題と深い結びつきがあることが観察されたことから、その転移の出所を解釈することで、治療的に活用できるとされた。転移の解釈は、精神分析治療の根幹とされている。

逆転移

フロイトは、治療者の側に未解決な心理的問題があった場合、治療場面において、治療者が患者に対して転移を起こしてしまう場合があることを見いだした。これを逆転移(Counter Transference)という。
フロイトは逆転移は治療の障害になるため排除するべきものであり、治療者は患者の無意識が投映されやすいように、白紙のスクリーンにならなければならないと考えた。しかし、そうした治療者の中立性に関しては、弟子の中にも異議を唱えたものが多かった。
現代の精神分析では、逆転移の定義はさらに広げられ、面接中に治療者が抱く感情の全てを含むものになっている。そして、逆転移の中には患者側の病理によっ て治療者の中に引き起こされる逆転移もあり、そうした逆転移は治療的に活用できるとする考えが主流を占めるようになっている。

抵抗

心理的問題の解決のために治療者のもとを訪れたにも関わらず、患者が治療過程が進むことを無意識的に拒んでしまうことを抵抗(Resistance)もしくは治療抵抗という。
これは、無意識に目を向けることには苦痛が伴うために起こると考えられている。この抵抗をいかに乗り越えるかが、治療過程の重要な局面となる。

退行

高度に発達した精神が、以前に経過してきた地点に回帰する現象を退行(Regression)という。
退行の原因にはいろいろあるが、固着(Fixation)と大きな関係があるとされている。固着はリビドーの相当の量がある発達段階に残されて来ている事を意味するので、固着が強い人ほど内的や外的圧力に容易に屈し、その時点に退行しやすくなり、それだけ自我が脆弱だと言える。健康な人間でも睡眠時、食事、排便時、入浴時などリラックスできる時には軽い退行が起きる。
健康な退行と病的な退行は、その固着点から正常な精神状態に立ち返る事が出来るかどうかで決まる。また、面接過程において自然と精神は未熟な精神の発達段階に退行する事がわかっており、これを治療的退行と呼び、精神分析の治療に欠かせない要素となっている。治療的退行時には患者が平生感じることのない感情衝動に駆られる事が多い。また動物にも退行が生じることが知られている。(ネコの退行 動画)

治療の技法

フロイトは、以下のような治療の技法を用いた。

自由連想法

患者が寝椅子などに横たわり、リラックスした状態で、何気なく心に浮かんできたあらゆることを言語化して語るように要求されるという方法の事。たとえば、窓の外の雲から空を連想し、空から水色が浮かび、といった連想を、患者が治療者に語るもの。
このような方法により、過去に抑圧された無意識の内容が表出され、現在の症状が解消するというのが、フロイトの考え方である。フロイトは当初、無意識を意識化する方法として、催眠を 取り入れていたが、催眠の効果には個人差が大きく、またいったん症状が消失しても、後に再びもとの状態に戻ってしまうことを経験したので、フロイトは自由 連想法を考案した。現在の精神分析では、対面による対話においても自由連想法と類似の効果があると考えられるようになったため、寝椅子を用いた自由連想法 が使われることは少なくなっている。


徹底操作

精神分析的治療においては、抑圧された葛藤に対する解釈を行い洞察が得られた後にも、なお解釈に対抗する抵抗が反復して現れる。その抵抗を克服し完 全な洞察に至るために、解釈と洞察を徹底的に繰り返して抵抗を一つ一つ排除していく過程のことを徹底操作という。徹底操作の目標は、洞察を一層効果的にす ることであり、クライエントの本能衝動の形と目標を変えることによって、クライエントにとっても意味深い永続的な変化をもたらすことである。徹底操作は分 析過程において最も重要な部分の一つで、クライエント自身の自己分析が主体となる。

夢分析

除反応

クライアントに自らを語らせ、治療者はただそれを誠実に聴くことに徹する。これによって、それを行なう前にクライアントが持っていた症状が取り除かれていくことから、フロイトは除反応(Abreaktion)と呼んだ。自由連想法の発展したかたちとも理解され、お話し療法とも呼んだ。フロイトと同時代では、非常に似た方法をブロイアーJosef Breuer)が用いてカタルシス療法と呼んでいる。
一見、「話を聞いてやる」というのは極めて原初的な施術であり、それゆえに「あれは医療ではない」と批判する専門家も多い。しかし、近年PTSDASDの治療として、新薬の投与などよりも効果があるとして再評価が高まっており、ナラティブセラピーとして体系化されたりしている。

フロイト以後の精神分析 

狭義には、精神分析はフロイト理論のみを指すが、広義には、フロイト理論の流れをくんだ様々な分派を総称して指す。フロイト以後、彼の弟子たちはそ れぞれの視点からフロイト理論を批判しつつこれを継承し、新たな理論を発展させていった。対象とする疾患も、フロイトが主に取り組んだ成人の神経症にとど まらず、子供、老人、精神病、境界例へと広がっていった。発達障害や精神病圏の患者に対してはその成果は芳しくなかったが、境界例に対してはその理解を飛 躍的に進展させる成果をあげている。

アメリカではジェイコブソンが、1960年代に自己と対象の相互関係にかかわる発達論を展開し、自己とは何か、対象はどのように心のなかに存在するか、などについて明らかにしていった。同時にフロイトにおける自己愛の概念を批判し、独自の自己愛論を展開した。これは自我心理学対象関係論の違いと共通点を明らかにし、精神分析の理論を包括的に統合する上で大きな役割を果たした。

フランスにおいて、ジャック・ラカンは「フロイトに還れ」(仏:Le retour à Freud)というスローガンを掲げ、フロイトを構造主義的に読み直す作業を進め、フロイトにおける用語や概念、言語感覚の特徴、さらにおそらくフロイト自身も気づいていなかったような物事のとらえ方の特徴などを解き明かしていった。
こうした動きに、当初はフロイトの「正統的な継承者」とされてきた国際精神分析学会は異議を唱え、関係を断った時期もあったが、のちにこれを修復し、学究的・人的交流を復活させている。

フロイト以後の分派は、古典的フロイト派、自我心理学新フロイト派対象関係論自己心理学パリ・フロイト派フロイトの大義派が代表的である。

フロイトの継承者

フロイトからの離反者

ユングの分析心理学や、アドラーの個人心理学は、理論上の相違が大きいため、広義の精神分析には分類されていない。しかし、無意識の存在を想定していることから、深層心理学の一派として分類される。


人文学的一般教養としての精神分析

以上のように、臨床療法としての精神分析は、現在では医学の世界では広い支持を得ているとはいえないものの、思想家としてのフロイト、思想としての精神分析学理論は人間理解、人文諸学、心理学などにおいて現代でも依然として影響力を持ち、世相や文化、芸術作品や犯罪など様々な事象の理解や批評に援用される。

そのことに注目した現代哲学者のミシェル・フーコーなどは精神分析を純粋な学問とはいえない一種のリベラル・アート(liberal art=一般教養)のようなものと捉えるべきだと主張している。

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